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通常の映画の吹き替えやストレートプレイの日本語台本だと、ストーリーの進行スピードに差し支えがない限り、結構忠実に日本語に約することができると思います。必要なら、文化的な理解を深めるために意訳をはさむこともできます。

一方、ミュージカルは音楽ありきで、台詞の多くが音楽、つまりメロディーにのっているため、音節の量を変えることはとても難しいはずです。減らすほうは比較的やりやすいと思いますが、増やすのはとても難しいと思います。

特に、日本語はいわゆる50音をはっきりと発音する言語のため、極端に考えるとひらがな(発音そのもの)と音符の数がほぼ同じになるように日本語訳を当てはめていく必要があります。そのため、印象としては英語歌詞から日本語歌詞に訳すとある程度のボリュームが省略されているように思います。ツイッターの140文字では、漢字や略語によって日本語での内容の豊富さが英語のそれを凌ぐのと対照的です。

来日公演や日本語版の上演ミュージカルを観ていても、横に出る字幕や日本語歌詞が元のものより大幅に少なくなっていることがよくあるのはきっとそのためなのでしょう。

もうひとつ、ミュージカルの場合はメロディーの抑揚や伸ばして歌う箇所などの発音の制約があります。たとえば先日観てきたレ・ミゼラブルでは、主人公ジャン・バルジャンの囚人番号が歌の中で何度か出てきます。特に「Who am I」の最後に大きく歌い上げ、音をのばすのですが、この囚人番号が英語から日本語に訳される際に異なる番号になっています。

英語:24601(Two Four Six Oh One)

日本語:24653(ニー ヨン ロク ゴー サン)

もしそのまま訳していると「ニーヨンロクゼロイチ」となります。最後の数字のところは、高い音をのばしてこの歌は終わります。これが「1(イチ)」だと歌いづらく、聞き取りづらいのでしょう。そこで、最後の2つの数字を英語の韻に似た5と3に替えて歌われていました。

そういや、娼婦宿のシーンでも「赤線」という言葉が使われていて、わからない人もいるだろうなと思いつつも、「現代ではなくずいぶん以前の話という設定である」という印象が生まれる効果があるのかもしれませんね。(もちろん時代はズレていますけれど)

海外作品の日本公演または日本語公演では、こうした翻訳者さんの苦労や工夫を感じながら観ることで、作品への愛着が増量されていく楽しみがあります。